June 04, 2007
レアルタ・ヌア感想/プレイ日記25−凛ルートエンディング編−
三面構成の最終戦から、凛ルートのエンディングまで。
最終戦はお馴染み柳洞寺にて、セイバーVSアサシン、凛さまVS聖杯、士郎VSギルガメッシュの三面構成になります。
●セイバーVSアサシン
ここでまだアサシンが来るか!という感じですが、このルートはセイバールートでは無いので、というかセイバーにとっての「最終戦」はセイバールートでのVSギルガメッシュ戦で十分に見せて貰って完結してるので、このルートではアサシンがセイバーにとっての最後の相手となります。
アサシン、佐々木小次郎という架空の英雄に対して、たまたま相当する人物だった名無しの剣客が正体だったということで、何も与えられないままだった自分の存在をかけて、せめてセイバーとの勝負に自己実現を見ようとしてるという、わりと切ないヤツでした。そして、そんなアサシンに対して、何を思ったか、VSギルガメッシュに向けて急がねばならないというシチェーションにもかかわらず、セイバー一騎打ちに応答。この「偽物」だったアサシンをセイバーが認めるという部分が、ラストの士郎VSギルガメッシュでの、偽物の士郎でも追い続けた理想の美しさは本物だ!という所にかかってくるのかな。アサシンも、存在は偽物でも、極めた剣技(アサシンにとっての理想)は本物だったという感じで。それが、同じく破滅に辿り着いても(アサシンもこの時点では消えゆく身になってる)理想を追ったセイバーには分かると。
決着は、言葉にしちゃうと、アサシンの燕返しをセイバーがかわして、アサシンの第二刃よりも速い剣撃をセイバーが打ち込んだ……というだけなんですが、文章で読ませます。ビジュアル込みだと、己の存在をかけてのガチ勝負というシチェーションも相成って、ジャンプ剣劇漫画(『るろうに剣心』とか、『BLEACH』とか、『斬』(笑)とか)のクライマックスのよう。いや、というか、そもそもジャンプバトル漫画に影響を与えたと言われる山田風太郎忍法帳に近い感じでしょうか。文章メインで表現してるにも関わらず、情景の美しさが見て取れるという美麗な文章です。山田風太郎小説は、(『魔界転生』とか)とにかく文章だけで何故にここまでというほどボス戦での剣劇シーンが美しくて恍惚としてしまうんですが、それに数カットのビジュアルをつけた、現代的表現法での最高峰という感じ。個人的ベスト剣劇、小説媒体なら『魔界転生』(十兵衛が最後に武蔵を破った凄まじい絵とか)、漫画なら『るろうに剣心』(VS四乃森蒼紫戦での刹那の天翔龍閃初発動とか)、ビジュアルノベルなら、『Fate/stay night』。
●凛さまVS聖杯
慎二を救出しようと気持ち悪い聖杯から生み出されたグロテスクの海に果敢に入っていく凛さまという絵柄。慎二救出に成功するも、脱出不能状態。アサシンを倒して駆け付けてきたセイバーに令呪を使って自分ごと聖杯を破壊させようとする、あれだけ自分主義だった凛さまが初めて士郎に対して否定を突きつけていたはずの自己犠牲に走ろうとする……という所で、まさかの剣戟の嵐、アーチャー登場。
じゃ、ジャンプバトル漫画十八番の、感動的に死んだと思ってたキャラが実は生きていて絶体絶命のピンチに現れるパターン…キターーー(>▽<)。
「一度生み出されたキャラクターの命は消えない……たとえ連載が終わろうとも!雑誌がなくなろうとも!!たとえストーリー上で壮絶に散ろうとも!何度も何度もよみがえり!実は死んでなかったなどという展開だって、全然OKなのだっ!!!」
「いやっ、それは……」
「また別の話じゃあないのかっ!?」
「なんていうか、おれ的にはどうかと思うが!!」
「――まあ1回ぐらいなら許しますけど…!」
島本和彦『吼えろペン』13巻より
一瞬同時間軸で展開されてる士郎の固有結界により生み出された士郎のイメージの具現かと思ったんだけど、そうではなく、王大人に治療を受けていたわけでもなく、ガチで根性で生きていただけっぽい。
スゲーな、ここで凛さまを助けるのは確かに自己犠牲を貫いた末に自己犠牲を否定するにいたったアーチャー(エミヤ)しかないんですが、いきなりジャンプパターンで来るとは。まあ、僕、生粋のジャンプ読者だから(メインブログで毎週感想書いてる)全然OKだけど。
その後、セイバーがエクスカリバーで聖杯を破壊。どうやら、アーチャーのあり方に自分を重ねて、セイバールートのクライマックスで獲得した気づきを、このルートでも得た上でセイバーは消滅したみたいです。
●士郎VSギルガメッシュ
これはもう、士郎の固有結界発動シーンの超級燃えに収斂されるバトルです。
ギルガメッシュに、やれ他人>自分というのは偽善者、全員救済など世界の原理的にあり得ない、理想すら自分の物ではなく借り物など無様……と、士郎の痛い所を散々否定されてノックアウトされた所で、
だからこそ、その理想に憧れた。自分では持ち得ないからその尊さに涙した。
いけないのか。
自分の気持ちではないから、それは偽物なのか。
と、「偽物」の価値が転覆するのが熱い。
そこで始まる、物語冒頭に挿入される、Fate/stay nightという作品のキーpoetry、
I am the bone of my sword. (体は剣で出来ている)
か、かっこいい。アーチャーが詠唱していた例のフレーズを、ついに士郎がここで初披露。
「My Whole life was unlimited blade works」
そして、最終フレーズで、このルートのサブタイ、「unlimited blade works」が、士郎の宝具、固有結界の真名「無限の剣製」だったことが明らかになります。
「……贋作、偽善者か。ああ、別にそういうのも悪くない。たしかに俺は偽物(フェイカー)だからな」(衛宮士郎)
自分の固有結界も、自分の理想も偽物だったと認めた上での、それを貫くという宣言。
そして無限の剣製が、本物であるはずのギルガメッシュを圧倒して勝利。単純に偽物の剣戟が本物の剣戟に勝利したというだけじゃなく、偽物の理想でも、本物以上になり得るかもしれないという可能性をかけた結末なわけで。ここまでバトルに抽象的なテーマ性をかける手法、見事の一言。
◇
ラストシーンは凛さまとアーチャーの別れ。
……未来は変わるかもしれない。
少女のような人間が衛宮士郎の側にいてくれるなら、エミヤという英霊は生まれない。
自己犠牲の全員救済という理想と表裏一体の危うさを持つエミヤへと繋がる衛宮士郎に対する救済策として、凛さまの存在が可能性として示されてフィナーレ。
「きっと、アイツが自分を好きになれるように頑張るから……!」(遠坂凛)
デートエピソードでは失敗に終わった、士郎の自己犠牲スタンス改善ミッションは、未来へと持ち越し。それを聞いたアーチャーが消滅間際に見せた最後の顔は、現実に摩耗した英霊エミヤではなく、理想を追った少年の日の衛宮士郎で……というラストシーン。それでもエミヤは終わり無き輪廻の中に戻らなければならない、この時間で獲得した凛との関係や過去の自分の理想の尊さも、次の戦いの時では忘れてる……という切なさと相成って、美しいラストでした。『空の境界』、セイバールート、そしてこのルートと、全部そんな感じのラストだよな。切ないけど、美しい。
◇
というわけで凛ルート終了。TURE ENDの文字が出ました。どうやら凛ルートのTURE END(Brilliant Years)の方を先に読了した模様。エンディングリストも5つに増えたことだし、どうせ全部埋めなきゃラストエピソードには入れないらしいということで、次は、桜ルートに入る前に、凛ルートのもう一つ、Goodエンディング/Sunny dayの方を読んでみようと思います。さすがに、どう選択すればそっちに入れるのか分からないな。そろそろ、攻略サイトを参考にしよう。


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