aamall

June 13, 2007

レアルタ・ヌア感想/プレイ日記28−反英雄論編−

 「おまえや切嗣は反英雄と呼ばれる“救い手”の在り方だ」(言峰綺麗)

 バーサーカー戦後の凛さまとの交渉決裂、言峰教会に赴いての衛宮切嗣の過去と綺麗の反英雄論についての講釈を聞き、夜にセイバーとマスター探しに出かけて、VS慎二&ライダー戦決着まで。決着後、間桐臓硯が色々と思わせぶりなことを言ってきます。

 ◇

 まずは、セイバールートでは結ばれた対バーサーカーを想定しての凛さまとの同盟が、このルートでは選択肢すら出ずに、士郎が拒否。エエ!このルートは凛さま仲間にならないの?ちょっとショック。いや、でも凛ルートでも最初は凛さまに襲われたりしてたし、後の展開次第か。

 そして、その後セイバーとのお話モードが結構長めに挿入されるんですが、ここで、セイバールートでは後半の後半に明らかになった、セイバーの前の召還者が士郎の義父、衛宮切嗣であったことが早くも明らかになります。セイバーがその件に関しては綺麗に聞いた方が良いというので、再び言峰教会へ。

 ここからの言峰綺麗のお話が、読み応えがあるけど、半端なく長いです。お前、何そんなに喋ってんの?というレベル。明かされるのは、衛宮切嗣も「争いの無い世界」という理想を追ったあげく、現実に摩耗して部分救済に辿り着いた、凛ルートでの士郎〜アーチャーのような軌跡を辿った人物だったということ。そして、そんな似ている士郎と切嗣のあり方を、「反英雄」という概念で言峰綺麗が定義します。これは、わりと難解だけど重要概念っぽい。加害者という悪になることで、同時に大多数から忌み嫌われる被害者にもなり、結果的に大多数の怨恨を自分に向ける、つまりは平和のために出さなければならない犠牲、生け贄自身に自分がなることで大多数を救済するという形の英雄……という分かりづらい概念なんですが、確かにこれまでのルートでも様々な部分にかかってきた概念です。生前キャスターとか、多数の怨恨を一身に浴びて魔女と呼ばれていたけど、メディアが怨恨を浴びることで他の多数は救われていたと解釈すれば、これも一種の反英雄的行為となるのでしょうか。セイバールートでも凛ルートでも結局士郎の自己犠牲による他者救済という在り方に対しては根本的な解答が与えられずに終わってるんですが、この反英雄という概念が、そういった自己犠牲のテーゼに対して何らかの解答を与えるという展開になっていくんでしょうか。言峰の話を聞いたあと、セイバーに対して君を「裏切らない」と誓いを立てる士郎という図の辺りが、反英雄的あり方が綴られるルートなのだとしたら、危うい。

 夜は、セイバーとマスター探しに出かけて、VS慎二&ライダー。セイバーが瞬殺した所で間桐臓硯が登場。聖杯戦争の土台の三家、アインツベルン、マキリ、遠坂のうち、マキリは「間桐」だったことが明らかになります。慎二が負けちゃったからもう戦う意志はないよーん、みたいなことをこの段階では言ってますが、そんなわけないワケで。ああ、ここから桜が絡んでくるからこそ桜ルートはわけか……。

 続きが気になるなぁ。派生EDもあるらしいので、マメにセーブしていこう。

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