aamall

February 24, 2012

Fate/Zeroはimpermanenceの物語(原作ネタバレ注意)

 虚淵玄さんの原作最終巻までのネタバレ込みで書いてるので、アニメセカンドシーズンを楽しみにしてるという方は注意です。

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 世界同時配信ゆえに外国の方の感想も他の作品に比べてよく見かけるアニメ『Fate/Zero』ですが、僕個人は外国の方向けにはimpermanenceという言葉でこの作品については語っています。「無常観」とか訳すことがあります。盛者必衰、諸行無常、みたいな感じ。

 原作の原典『Fate/stay night』自体が、奈須さんの意図は置いておいても文化的に進歩史観がベースにあるであろうアーサー王物語に輪廻とか無常といった仏教的史観を持ち込んでみたものという気がしてるのですが、『Fate/Zero』はより、無常の「落ちる」側、「滅びる」側に焦点があてられていると思います。

 各種インタビューで見られる、ハッピーエンドが書けないことに作家として悩んでいた虚淵さんが、ハッピーエンドは奈須さんに託して、最高のバッドエンドを書いた、それが作家生命の転機になった、という話とも関係がありそうですが、とにかく『Fate/Zero』は滅びる者、失われていく者が美しい。

 最初から未来がない間桐雁夜の滅び際の輝きをはじめ、キャスター(ジル・ド・レイ)ですら散り際は美しいと僕は思いました(そもそも彼の動機もまた、ジャンヌ・ダルクの「滅び」に関するものですし)。そして、一応の主人公格の衛宮切嗣、セイバー(アルトリア)まで、報われないまま滅びていく。三島由紀夫の文学の話とか外国の人に説明するのがそもそも難しいんですが、こういうマッチョとか勝利よりも、むしろ滅びが美しいっていうのは日本の文芸の系譜だろうな、とは思っています。奈須さんや虚淵さんの作品の表面的直系の系譜はいわゆる「伝奇物」作品だと思いますが、そういえば山田風太郎にしろ半村良にしろ、どことなくimpermanenceが関わってくる作品を書いています。

 ただ、『Fate/stay night』にしろ『Fate/Zero』にしろ、どうしようもないimpermanenceや滅びに対して、「一生を規定するような出会い(=Fate)」が、全ての報われなかった滅びの分の救いとして描かれているのが熱くて、この感覚を僕は輸出してみたいんですが、なかなかテキストを尽くしても英語ではまだ書けない。

 ウェイバーはライダー(イスカンダル)が結局オケアヌスには辿り着けなかったまま人生を終えたのを知る。それはどうしようもない無常だけど、しかし物語はウェイバーとライダーの「一生を規定するような出会い」が、その無常を越え得るものであるかのように、ウェイバーがライダーを失っても一人で歩みだす所で終幕する(最後のウェイバーVSギルガメッシュの最弱VS最強は何度思い出しても熱い)。

 衛宮切嗣もセイバーも報われないまま終わるけれど、この二人は運命の二人にはなれなかったかもしれないけれど、物語は『stay/night』の始まり、セイバーにおける運命の一人、衛宮士郎との出会いのシーンで幕を閉じる。こここそが、「バッドエンドをハッピーエンドに託す」箇所なので、アニメのラストシーンも凄い演出でやってくれると信じている。

 セカンドシーズンの主題歌、Kalafinaの『to the beginning』の訳は「始まりに至る」だろうという記事をこの前書いたけど、単純に「stay/night」の序幕に繋がる、という意味だけじゃなく、impermanenceの救済として、「始まり」があるんだ、という意味にもとると、凄い神作品の香りがします。

 とりあえず、英語力を磨きつつセカンドシーズン待機。

『Fate/Zero』 Blu-ray Disc Box
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realtanua at 08:16│ twitterでつぶやくFate/Zero Column | TYPE-MOON雑記