魔法使いの夜感想
April 19, 2012
魔法使いの夜/感想補遺(2012年4月19日)
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番外編『誰も寝たりしてはいいけど笑ってはいけない久遠寺邸』も読了。
推理はそんなに難しくなかったけど、劇中で「本格なのにピッキング」とかメタ笑いネタを出してる辺り、いわゆる本格ミステリ的な推理とかは置いておいて楽しければイイや的なお話なのだと思いました。
山城先生のファラオ眠りとか笑ったよ。そこ、そこに新規CG投入して、スクリプトの演出バリバリかけて見せるんだ! 的な方向で笑った。どうでもイイ辺りに贅沢に何かを投入している。
二話以降に登場するらしいメイ・リデル・アーシェロットも立ち絵付きでバリバリ登場。既に彼女にも背景に物語があり、ガンガン青子たちに関わってくるのだろう感が滲み出ています。作品として現出する前に、圧倒的な物語世界観が既に存在しているのは素晴らしい。
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本編、青子が魔法「青」を使って「Five」が流れ出す所が好き。積み重ねてきた「時間」という作中要素の結実。おそらく、「Five」は「第五魔法」の意味のファイブと、「五分間」の意味のファイブのダブルミーングでしょう。
逆『Fateセイバールート』みたいな感じ。あっちは歴史をなかったことにはできない/しない、という話だった。だけど今回は、たとえ世界の秩序が壊れても、この五分間だけは吹き飛ばす。そこで青子が垣間見た光景が、草十郎が幸福だった頃、たぶん、西欧文明的な時間概念がまだなかった頃の「森」の風景というのも良かった。ずっと時間って大切だよねというのを背景に積み重ねてきたからこそ、クライマックスが色んな意味での「喪失」だというのが凄かった。
吹き飛ばした五分間がどうなるのか(というより宇宙のエネルギー総量的にどう扱うのか、というような話なのか)は、現時点では不明(青子は生きてる間に考えるというようなことを言う)。二話、三話でこの辺りが一つはポイントになるのやもしれない。
ここで四季が魔法で流転する演出があるからこそ、ラストシーンの、ただ大晦日から元日に日付が変わる「時間」を青子と草十郎で迎えられるのが尊い……というまとめ方が生きてくるんだろうな。良い作品でした。
→本編感想へ
April 15, 2012
魔法使いの夜/感想
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●物語
「森と現代文明」を両軸に取りながら、流麗に進んでいく物語でした。
『TYPE-MOONエースvol.2』内の奈須きのこさんインタビューに、原本となった原作小説は、「なんのてらいもなくテーマを前面に押し出している」と語っておられる箇所が出てきます。『空の境界』後は基本娯楽エンタメで、テーマは深読みする読者にだけ伝わればよい的なスタンスなのだけど、原本『魔法使いの夜』の時は若かった、というようなニュアンスです。その辺りのテーマを押し出す感じは今回のリメイクでだいぶオブラードにくるむよう書き直した、とも続いていますが、その原液的直球テーマが、この部分の「現代文明への批評性」みたいな箇所だったのだろうと感じました。
前半のクライマックス「魔法使いの夜」において、「森」側の主人公である草十郎が、ミラーハウスの中から見えた都市(現代文明)の空に、
……ああ、なんて醜い。
こんなものを、これから一生見続けていく。
ともらしてしまう所が好きです。人畜無害とか言われながら、誠実に現代文明に適応しようとしてきたけれど、どこかでそれらを醜いと感じていた自分に気づいてしまう。
現実の話も持ち出すなら、これはドストエフスキーが万博を目撃した時に感じた絶望、ニーチェやハイデガーが転覆したいと願った科学技術文明と合理論に根差した現代文明の歪さ(この辺りの話は木田元の一連の反哲学の著作に個人的にはよっています)、それを、草十郎も感じ取ってしまっていた、という場面だと思います。
交わらない三者三様の星の巡り、という話的には、青子は「近代」、有珠は「中世」、草十郎が「文明以前」、だと思いました。それぞれ、よって立つ思考基盤が違うので、交われるはずがない。キッチィーランドで青子と有珠がなぜ殺し合いにまでなるのかとも思うのですが、有珠にすれば、中世的な「魔術の秘匿」という条件は自身の存在意義でもあるわけです。劇中の様々な箇所で、草十郎的な文明以前の「森」の思想はもちろん、有珠がよって立つ「中世」的な価値観も、暴力的な「近代」資本文明によって押されているのが描写されています。
ちなみに学問的には(というか新書とかに書いてある話ですが)、「中世」の存立基盤の方が宗教とか物語とかで、「近代」が何と言っても資本(お金)です。童話詠唱(物語)が主要魔術である有珠はもろに「中世」って感じですが、だとするならば有珠と青子の戦いは「中世VS近代」。背景になってるパラダイムが全然違います。やはり、そうそう相容れない部分があるのです。
しかし、その戦いは、
消費/消滅の理を担う、最新の魔法使い。
のフレーズと共に青子の一応の勝利。近代の特徴は資本(お金)だと言いましたが、もう一つは何と言ってもそれに基づく「消費」です。
そんな訳で、大まかに主要三人のバックボーンを並べてみるなら、
青子:近代、消費(資本)
有珠:中世、童話(物語)
草十郎:文明以前、肉体
です。
ロックが好き、買い物が好き、地下鉄(近代以降の産物)の音が好き、という青子はやっぱり消費とか近代に関して何かを担っている主人公で、有珠は童話と物語、そして草十郎は森であり、自分の肉体です。有珠が近代以降絶滅した鳥に想いを馳せる箇所がありますが、鳥(=肉体で飛ぶ)というのが、文明以前の比喩かと思います。だから、遊園地で肉体のみで飛んで見せた草十郎の姿に、有珠は目を奪われる。そんな三人が、英国の台頭から始まった(奈須作品で英国が重要なのはたぶんこのテーマのため。近代文明を大きく世界に広めた起点は、なんといっても英国)近代化の波の終着点として、東洋の果ての80年代末の日本、バブル末期の黄昏時に交差する。たいへん詩情的だと思います。近代の駆動音に乗せられて勃興し、そして競争に敗れて無残に消えていったレジャー施設。廃墟となったキッチィーランドが前半クライマックスの舞台とか、既に神感が漂っておりました。ファストフード店にすらピエロ(童話・物語)の浸食はある、というシーンが好き。全体的に遊園地戦は、青子の勝利に終わるものの有珠のターン。近代、確かに凄い。だが、そこにも至るところに、童話や物語がある。中世は、負けていない。
そして、有珠以上に、特に青子と草十郎は、お互いがお互いに違うだけにお互いに惹かれ、また逆に認められない。
青子が近代と消費で、草十郎が森と肉体だ、という話に、当然のように「自分」の問題がそこにからまって描かれます。例の現実の思想史で言う、「近代的自我」の問題です。大まかに言って、「近代」以降は個人の自己が強くなって競争になっていく。だから、凛とした自我を持ち自己を掲げていく青子は、自己が無い草十郎にいらだちを当初は感じてしまう。その自我に依拠しない素朴さこそが、近代人が忘れしまった真実性を含んでしまっているからこそ、自我に塗れた自分の醜さが否応なく突きつけられてしまう。逆に草十郎は、ラストバトル前の詠梨神父と草十郎の会話でかなり明示的に語られていた箇所ですが、自分に自我がないからこそ、凛とした自己(劇中の別の言葉で言うなら「心のカタチ」、「自分の色」)を掲げて進んでいく青子に羨望を抱いてしまっていた。
さらに、近代以降の自我の目覚めは、必然的に競争、闘争に帰結していく。自分を貫くあまり、相容れないものは蹴落として、自分の目的にまい進していく。その近代以降の競争、闘争が、マクロには根源の渦を目指して競争する魔術師たちという比喩で描かれ、ミクロでは相容れない青子と橙子の闘争、という形で描かれます。
ここまで背景が描きこまれた上で、近代消費世界、現代文明の歪さをあぶりだした上だからこそ、最終章の草十郎の二つの言葉、
――自分が、彼女(だれか)を助けたいんだ。
と、
人殺しはいけないことだ。
が重みを持つ。
自己を持てなかった人間が、ようやく到達できた自分の願い。それが、「青子を助けたい」という他者の希求だったということ。そんな人間だからこそ、近代以降の人間がしょうがない原理として受け入れてきた競争・闘争の末の敗者の退場に対して、「人殺しはいけない」という当たり前のお題目が言える、ということ。
●カーネーギ事件
ここまでだけ書くと、なんか現代文明に関して批判的な話で終わるのかという感じですが、もちろんそういう偏った作品ではなかったです(「近代」っぽい青子が主人公なので当然と言えば当然ですが)。本編でも逆に現代文明を肯定するような要素も出てくるんですが、特に色濃くこの「現代文明の良さ」を描いていたと思うのが、幕間的な短編(途中でArciveに追加されるヤツ)「カーネーギ事件」です。魔術も魔法も、暴力も出てこない(唯架さんのは許容範囲で)、ちょっと良くないことが起こり、街の住人たちだけで補い合って解決する話。悪徳販売業者に騙される人たちという悲しいことに対して、魔術と関係ないただの学生でただの生徒会長の青子が、鳶丸が、久万梨が、教会関係とは関係ない唯架が、学校のもろもろの友人たちが、補い合って、あくまで普通の街に住む人間たちとして問題を解決する話。一瞬魔術戦のノリで暴力によって解決しようと傾きかける青子に言った鳶丸の言葉、「ここは法治国家」だからなるたけ法的に行こう、が好きでした。森は確かに素朴で素晴らしいかもしれない。だけど近代文明人が編み出した法治国家ナメんな。
そんな訳で、被害者の会を作るとか、契約書を押さえるとか、非常に地味かつ堅実な方法で問題を解決。僕はこの話が一番好きかもしれない。
その一連の騒動が終わった後の、鳶丸と草十郎の暮れゆく街を眺めながらの会話のシーンも良い。鳶丸が語っていたのは、「代わりがいるから逆にイイ」ということ。森、確かに素朴で幸福だった気がする。鳶丸自身も、相続争い(近代的自我に基づく競争・闘争)に巻き込まれてうんざりだ。でも、イイところもある。街自体が、森とは似たようなでも違うような別種の生態系だ。例えばバイトが辞めた、すぐ次のバイトの人が雇われて入る。なんだ、私には代わりがいたのか、と90年代作品(代表はやはり奈須さんも影響を受けたという『エヴァンゲリオン』)のように自己価値感の欠如で悩むのか? 違うと鳶丸は語る。見知らぬ他人が、自分の抜けた穴を補ってくれる、自分が、顔も知らないような他者を補うことができる、と、それが街は素晴らしいんだ、と。
こっちが、むしろこの作品の解答くらいに感じました。交換、贈与、どちらの形にしても、森ほど閉じていない現代文明社会の街は、補い合いながら暮らしていくことができる。それぞれの自己が大きくなりすぎて競争、闘争に振れ過ぎる嫌な面もあるけれど、自己それぞれが自分にできることを交換したり、贈与したりしてみんなで生きていくことができる、これはやはり素晴らしい。歪で醜いことも多いけれど、何とか、この街の灯りを肯定してはいけまいか。
明確には語られない有珠と草十郎が最初に出会ったシーン(お互いよく分かってない)に、解答が凝縮されている気がする。たぶんお腹が空いていた有珠に、着ぐるみを着て配達していた草十郎が、残りを分けて(贈与)あげた。道化的な出来事。でも、競争による奪い合いだけじゃないんだ。適材適所、欲するものがない人に、それを余分に持っていた人があげたり、交換したりもできる。それは、何やらとても素晴らしいものに思える。
●魔法
「これはまだ日々の生活(じかん)が穏やかだった頃の風景。」という作品のキーワードはもちろんのこと、作中の様々な箇所で、印象的な久遠寺邸の時計が進む描写、時間の消費に関する風景(野球したり、一日かけて卒論の写しのバイトしたり、時間に関してのんびりと優しく、その大切さをあぶりだしていく)、バイトの設定(時間のお金への交換)などと「時間」に関して掘り下げてきて、ついに炸裂する第五魔法「青」が「時間」関係だったのにはやられたと思いました。
時間の超克、とでも言えばいいのかな。単純なタイムリープ系じゃなくて、個人の時間を借りたり、それを使って自分の時間を進めたり、時間そのものを吹っ飛ばして、どこかの時間軸に置いて来たり、色々できるらしい。まさに、秩序は壊れ、カオスに。青子のロック好きまで伏線だったのか……。
これだけ、ゆっくりと大切な穏やかな時間という一つの主題を描いてきながら、青子が10年分自分の時間を進めるという最終戦は不覚にも涙ぐむものがあったよ。そこでビジュアルが『月姫』とか『MELTY BLOOD』でお馴染みの赤髪のスーパー青子(「魔法使いの基礎音律」より)になるというメタ演出もイイ。『空の境界』や『Fate』で「永遠を超える一瞬」を描いてきた奈須作品的にも感じ入るものがありました。
プレイ時間を表示せず、Archiveという本棚形式から本を取り出すようにして「読む」というのも「ゆっくりとした時間」演出なんでしょうね。細かく積み重ねていた要素と、クライマックスのメインネタ(魔法)の種明かしがシンクロしていて凄いと思いました。
●氷室冴子『雑居時代』との関連
最後に、個人的に無類の氷室冴子作品好きとして、『雑居時代』との類似点などあげてみます。
当初からコンセプトに「雑居」を押し出しており、『TYPE-MOONエースvol.3』では奈須さんが影響を受けたクリエイターの名前に氷室冴子をあげている点から、まず間違いなく『雑居時代』からある程度影響は受けてる作品だと思うのですが、細かい所でしみじみとしてしまいました。これも「時間」要素ですが、氷室先生が『雑居時代』の続編を書くことはもうないけれど、こうして最新の『雑居』物語が読めたことが感慨深いです。
豪邸に女二人、男一人で雑居するという設定からして『雑居時代』なんですが、男が主夫的な役割を担う、とか、「お金」にまつわるコメディ調エピソードが起こる、とか、細かい所でその類似性(というか、一種の本歌取り的な表現なのかと思いますが)にニヤニヤしていました。上にあげた「カーネーギ事件」が凄い『雑居時代』っぽい(笑)。お金が発端でおこる愉快なショートコメディエピソードが、『雑居時代』にもあるのでした。TYPE-MOONのクリエイターさんたちにはもちろん、先人として氷室冴子先生にも敬意をば。
→体験版の感想へ
January 28, 2012
"WITCH ON THE HOLY NIGHT" will be released on 4.12. in Japan
魔法使いの夜 初回版 (Amazon.co.jpオリジナル特典ポストカード付)
December 16, 2011
魔法使いの夜体験版/感想
ネタバレで書いてますのでまだ未プレイの方は注意です。
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それは「魔術と現代社会」でもいいし、「森と文明」でもいいのだけれど、共通して右側に来る一つのキーワードは「資本(主義)」だと思いました。
舞台の80年代末というのは、僕自身も幼少時にタイムリーに経験しているのだけど、資本の高騰としてのバブルが終わって、時代が黄昏に入っていく辺り。「回転寿司屋ができた」とか「コンビニでバイト」とか、資本主義文明の新たな開闢が進行形で進みながら、ある種の喪失や断絶が背後につきまとっている独特の雰囲気。これは、『空の境界』で90年代の廃墟ビル(バブル崩壊後に取り残された)が印象的に使われていた頃から、個人的に奈須きのこ作品に感じていた部分です。もう少し踏み込んで言えば、Fateのアンリマユの概念とか、「Fate/hollow ataraxia」内のアンリの台詞など、資本主義文明に一言もの申したい的な要素は、かなりの奈須作品の根底に流れ続けているようにも思う。今年のウォールストリートデモまで娯楽作品に結びつけようとは思わないけど、どういう訳か奇しくも時代的なタイミングで世に出ることになりそうな作品。
劇中で資本主義現代文明の象徴のごとき大量生産品としてのテレビをめぐる議論が既に青子と有珠の間でなされているのが、体験版の中だけでも出てくるのだけど、どうしてもそこに古き魔女として純化を保とうとする有珠と、より現代に適応しながら生きていこうとする青子の二ヒロインのあり方を重ねざるを得ない。そこに、文字通り「森(文明以前)」から出て来た草十郎が関わっていくのだから、ますます話は資本について何かを感じてしまうような設定に満ちている。極論すれば、ここまで読んだ所で、青子がいなくて有珠と草十郎だけだったら、文明とかいいよ、古きに帰ろうよ、で終わってしまいそうな作品なのかもしれない(笑)。
しかし、もちろんこの作品は資本主義批判・新しいもの批判、みたいな単純なイデオロギーっぽい作品ではない。青子は回転寿司屋を興味津々に視察に行き、魔術師でありながら学生、しかも生徒会長であるというキャパ的に苦しい二重の生き方を、あえて凛として飄々として重ねていく(80年代後半の「学校」が、今から考えてもおどろくほど学力による競争主義的な、資本社会の縮図になっていたのも指摘したい。この点は、奈須さん自身が影響を受けた作家にあげる氷室冴子さんの、僕が勝手に青子に重なる所があると思っているヒロイン(数子)が出てくる『雑居時代』などに描かれている)。そのどっちつかずのあり方を体験版の中だけでも有珠に指弾されそうになる場面などがありつつも、なんやかやと、強きを認めつつ、弱者を捨てきれないまま生きていく。流麗なオープニングは音楽とCGだけで溜息が出るけれど、館(森の側にある)から学校までの青子の登校風景、しかも淡い雨が降っている……というのは、それだけで作品の何かをかなりの程度表現しているのだと思う。
そして、古きと新しさのシーソーゲームではない謎の融合は、一歩引いた視点から作品全体のコンセプトにも見て取れる。
古き良さは80年代のジュブナイル小説と伝奇小説のテイストであり、新しきは、最新の技術で作られている、という点である。
ぶっちゃけ、「小説でいいじゃん」という批評が今から頻出することが予想される作品のように思う。けど、やはり敢えて最新のスペックのPCにインストールして味わうADV形式だからこその作品なんだ、という矜持が、圧倒的な未知数を残しながら、既に体験版からは感じられる。基本、素材とスクリプトだけで表現しているというあのシーンやこのシーン、いったいどういうことなの感が満載の体験でありました。これが、紙芝居(古き)でありながら最新、という、表現最前線なのか……と、もう何回目かの溜息。
80年代、氷室冴子文脈、奈須文体(勝手に泉鏡花あたりからの系譜ではないかと思ってる)、そして青子可愛いよ、青子、と、人生上稀なくらいリリース前から期待してる作品。大人しく来年の春を待ちたいと思います。
魔法使いの夜 初回版 (Amazon.co.jpオリジナル特典ポストカード付)
May 03, 2011
魔法使いの夜と氷室冴子作品
ライブドアブログ有料版の契約切れでしばらくこのブログが消えておりました。新しいアドレスで復活させましたが、以前とURLが変わっていて、TOPをブックマークしていた方や、以前のURLのまま過去ログを参照したい際などご不便をおかけするかもしれませんが、ご了承頂けたら幸いです。
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『魔法使いの夜』が発売になるまではこのブログもそんなに更新しないかと思うんですが、今日は僕がまほよを楽しみにしている点をば一つ。
何回か書いていますが、TYPE-MOONエースの奈須さんや武内さんのインタビューを読むと、まほよはだいぶ氷室冴子作品の流れを汲んでるらしい作品であることが伺えるからです。
奈須さんが影響を受けた作家さんの中に名前を挙げていますし、何度も書いている通り雑居コンセプトは氷室先生の『雑居時代』に重なりますし(劇中の年代もだいたい同時期)、青子は設定的にも雰囲気的にも『雑居時代』の数子っぽいです。
氷室冴子は僕の中でも生涯影響を受けるであろう作家ベスト3には入るような作家なので、その点でTYPE-MOONが氷室冴子文脈と合流するかもしれないという所に、非常に興奮し、期待しているのです。
本格的な文芸評論みたいなのはほとんど書いたことがないのですが、今後本格的にやることがあるとしたら、『魔法使いの夜』をやってみた後の、氷室冴子論になるような気はしております。亡くなってすぐパロディ的な同人誌は作ったのですが、もうちょっと本格的なものをやってみたい気持ちがあります。文芸批評自体が雑誌では売れず、そもそも従来の文脈であんまり扱われない作家さんで、一方でコバルト的な文脈も衰退していっている現在では、やる人がほとんど僕くらいしかいないような題材な気もしますし。少女小説史からエリアーデまでを含めた、射程が広いものを一度腰を据えて書いてみたいな、という野望はあったりなのでした。
雑居時代〈1〉(Saeko’s early collection〈volume.7〉)
雑居時代 (第1巻) (白泉社文庫)
December 05, 2010
TYPE-MOONエースVOL.6予約開始
12月24日発売の『TYPE-MOONエースVol.6』が予約開始したので宣伝です。
今回はさすがに『魔法使いの夜』情報大満載を期待したい所です(^_^;
TYPE-MOON (タイプムーン) エース Vol.6 2011年 01月号 [雑誌]
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個人的には、大晦日(31日)に冬コミ(C79)にサークル参加致させて頂きます。
今回はオリジナルの漫画、小説が中心の新刊コピー誌なので、詳しくはこちらの創作活動サイトの方をよろしくです。↓
●Language×Language(ランゲージランゲージ)
TYPE-MOON本の既刊も持っていきますので、これを機会に良かったら。大晦日で日程的に大変な方多そうですが(^_^;
September 08, 2010
コンプティーク2010年10月号
前回の特集と同じクラスなら、かなり内容がある『魔法使いの夜』特集が掲載されているはずー。
コンプティーク 2010年 10月号 [雑誌]
September 02, 2010
「魔法使いの夜」発売延期の報など
という訳で『魔法使いの夜』発売延期に。
KEYの麻枝准さんが、何かのインタビューで、あと一歩という感じのゲームが多いのは、クリエイターの完成系になる前に商業的市場的条件からリリースしてしまう場合が多いからということを言っていたりしたので(これは『CLANNAD』が時間かかった分成功したのは、完成系になるまでリリースを社長が待ってくれたからみたいな文脈でした)、クリエイターの完成系優先なのは僕はまあ良しと思うのですが、それとは別に単純に「待ち遠しい」という文脈からは延期は悲しい。
公開済みのCGやらテキストを元に、冬まではイラストでも練習しておくかって感じですかね。
Fate(僕はレアルタ・ヌアからですが)の時はそこまでできなかった分、今回はブログに少し二次創作絵アップしたりな楽しみ方もしてみたいという願望があるのですが、それにはまだ練習が必要なので(有珠描くの難しいよね!)。
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話変わって、先日発売した『劇場版空の境界第六章』画コンテ集の、オフィシャルな特設ページができておりました(少し収録コンテも見られます)。↓
●劇場版『空の境界』画コンテ集シリーズ、第6弾 第六章「忘却録音」画コンテ集、発売中!
鮮花ー。
見返してる率は、第六章が断トツだったりします(えー)。
劇場版 空の境界 第六章「忘却録音」画コンテ集 (講談社BOX)
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そして気を取り直して、2号連続まほよ特集第2弾の「コンプティーク」10月号も予約開始ー(10日発売)。↓
先月号の第1弾が充実していたので期待です。
コンプティーク 2010年 10月号 [雑誌]
August 25, 2010
コンプティーク9月号感想と、『星が瞬くこんな夜に』届きました。など
●コンプティーク2010年9月号/感想
新しいCGとかは公開されないんじゃないの、表紙絵だけで儲けもの、くらいに思っていたんですが、コンプティークナメてました。有珠の魔術から新キャラ立ち絵、新公開のCG、ショップ特典のイラストラフまでと盛りだくさんな内容でした。TYPE-MOONエース並、だと……。
有珠の魔術は、「物語」の幻想の顕現。ゆえに有珠=アリスとかかってるっぽいし、公開されてるCGに青い鳥とかも映ってるっぽい。「Fate」や「空の境界」以前の奈須作品の原型ということで、Fateの物語に出て来た英雄の召還や古典物語を本歌どって古典物語(例えばアーサー王伝説)と作品本体の物語(Fateという物語)とを行き来する構造とか、原液的なアイデアはこの有珠の魔術にあったのかもしれない。
つかこれ、人形師(橙子さん)VS物語師(有珠)っていう展開になるってことか? 熱すぎるな……。キャラクターに息吹を吹き込む的な意味合いは同じでも、物質と想像の点で異なる……的な。
・新キャラ
文柄詠梨(ふみづかえいり)、周瀬律架(すせりつか)、周瀬唯架(すせゆいか)の三人で、いずれも聖堂教会関係者(仮)。
おおう、やっぱり聖堂教会一派も物語に関係してくるっぽい。いよいよ奈須世界の最新作にして原風景という感じ。それを言い出すと、「物語」も「人形」も「教会」とは色々連想が働く訳で……。事前情報からして、Fate的な強者と弱者(「空の境界」なら荒耶宗蓮と臙条巴で表現した主題と言ってもよいかも)の主題も絡んでくるっぽいので、青子(強者を認めるも弱者を捨てきれない)と教会のストーリーも楽しみ
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●星が瞬くこんな夜に
supercellによる「魔法使いの夜」エンディング曲。この曲目当てでしたが、収録されてる3曲全部良かった。
なんか、この言葉使ってれば今のところ「まほよ」は語れるんじゃないかという感じですが(汗)、「80年代」のミュージックシーンの、現代のリビルドヴァージョンという印象を受けました。
おそらくは、作中はWINKがポップシーンを駆け抜けている反面で、猪瀬直樹『ミカドの肖像』のプロローグで「MIKADO」というデュオに関する評論が論じられていたような時代。
一時の繁栄と、その中にある空虚、両方が同居した時代の黄昏時のお話。そんな予感。
都市とかビルディング自体が奈須作品では印象的に使われているのですが、『ミカドの肖像』のプロローグのロラン・バルト『表徴の帝国』の引用部分は奈須力全開な感じで、80年代へのリンクにちょうどいいかも。
わたしの語ろうとしている都市(東京)は、次のような貴重の逆説、≪いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である≫という逆説を示してくれる。
自分で引用を引用していて、奈須力高めのテキストだと今思った。
理想を追う美しさの反面、主体者である衛宮士郎は空っぽだったのか、とか、黒桐幹也が愛した(少女の)両儀式は、第三の両儀式の幻影だったのか、とか。そんなお話が、繁栄と空虚さが同居した都市風景(「空の境界」なら巫条ビルなど)とリンクしながら描かれていくのが奈須作品です。そんな感覚は、おそらく「魔法使いの夜」にもある。
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そんな感じで、コンプティークに関しては9月10日発売の10月号も別冊で「まほよ」特集ということで、そっちにも期待。
というか、僕の感覚ではゲーム本体の発売も間近だよな(9月30日)。休暇の調節に入らないと(真面目な顔をしながら)。
コンプティーク 2010年 09月号 [雑誌]
うたかた花火/星が瞬くこんな夜に(初回生産限定盤)
August 04, 2010
コンプティーク2010年9月号
これは全力チェック予定。
コンプティーク 2010年 09月号 [雑誌]
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「ひびちからじお」はまだ聴いてない所(汗)。本名陽子さんと仙台エリさんはプリキュアなんかでも凄い好きなんですが(あとTwitterをフォローしていて、お二人とも凄い面白いっス)、中々夏の激務期間なのでした。
9日に2回目が更新されちゃうらしいので、それまでには聴いておきたい所。
よく漫画描いてる人が言っているように、漫画描きながらBGM感覚で聴いたりすればいいのかなー(ただ僕はテキストでも絵でも没入しちゃうので、あんまり「ながら」タスクができないタイプだったりします(^_^;)。
June 25, 2010
魔法使いの夜ED曲「星が瞬くこんな夜に」も予約開始
supercellのジャケットデザインなどやっておられるうーさーさんのサイトより情報入手。
『NARUTO-ナルト-疾風伝』の新エンディング曲「うたかた花火」とのダブルタイアップ、両A面CDで、既に予約始まっておりました。ゲームより先にエンディング曲が発売ってことですねー。
うたかた花火/星が瞬くこんな夜に(初回生産限定盤)
June 24, 2010
魔法使いの夜、予約開始
Amazonさんだけでも、「オリジナル特典ポストカード付」となっていることから、各種店舗(ソフマップとかメロンブックスとか)特典もそろそろ発表になるかと思います。
というか、TYPE-MOON公式も今日更新される気がするので、更新されたらまたブログ書きますね。
とりあえず僕はAmazonでOKなのでさっそく予約です。地方な上介護生活なので、そもそも中々店舗では買いにくい訳なんで、こういう時は(いや普段からですが)Amazonありがたいっス。
魔法使いの夜 初回版 (Amazon.co.jpオリジナル特典ポストカード付)
June 23, 2010
魔法使いの夜、6月24日から予約開始
●6月24日予約開始 TYPEMOON「魔法使いの夜」 ポスターいろいろ出た:アキバBlog
こういうのはAmazonなどのWEB流通関係の予約開始も同時な場合が多いです。
店舗特典みたいなもの(ソフマップ特典とか、メロンブックス特典みたいなヤツ)も今後発表される気はするんですが、とりあえずAmazonで予約しておこうかと今の所は思っております。あんまり、この前の『TYPE-MOONエースVOL.5』のタペストリークラスだったら心動くかもですが、テレカとかだったら後で絵が画集に収録されればそっちでじっくり見たい感じなんで。
後は、プライベートの介護問題さえなければ、当日そういうショップ(とらのあなとか)に並んで買ってみるっていうのもイベント感覚でいいんですけどねー。今のところちょっと難しいかな……。
June 22, 2010
June 21, 2010
『魔法使いの夜』9月30日発売決定/TYPE-MOONエースVOL.5
事前にTwitterでネタバレツイートを食らっていたのですが、本日発売の『TYPE-MMONエースVOL.5』で自分の目で確認。
『魔法使いの夜』、2010年9月30日に発売とのことです。休暇の準備しなきゃ!(エー)
『TYPE-MOONエース』の感想自体また書こうと思いますが、とりあえず『魔法使いの夜』特集部分。
毎回公開されるCGは何度も見返してしまっているんですが(VOL.3の「早朝の町を歩く青子」は100回は眺めた)、今回もため息が出る。背景CG、風景画が凄くいいんだな、『魔法使いの夜』は。今度どういう人達が作ってるのかチェックしておこう。
そして、
「鏡の国の戦い」
と、
「忍び寄る影 凶歌を織る自動人形」
のコピー&CG。
前者はまあ、久遠寺有珠(くおんじ・ありす)って言うくらいだから、何かしら『アリス』(ルイス・キャロルのね)とリンク(というか本歌取りというかパロディというか)した物語が織り込まれているのでしょう。本当どこまでも僕のど真ん中を狙ってくる作品だ。
後者は、「人形」のキーワードから、ちらちら情報出てましたが、やっぱり橙子さんも出てくるのね。『空の境界』時よりも遥にろくでもないようなことがちらっとインタビューに書いてあったので、楽しみ。さらに姉妹要素まであるってことか、く、どこまでも僕のど真ん中を狙ってくる作品だ……。
とりあえず、「TYPE-MOONエース」読んで興奮したままの更新をば。
しかし、今日は一日「TYPE-MOONエース」読んでいたい勢いです。商業紙雑誌はビジネス的に苦戦しているご時世ですが、テーマをニッチに絞って(この雑誌なら「TYPE-MOON」オンリー)圧倒的なクオリティを出して濃い顧客に訴求というのは、生き残っていく一つの作戦かもなー。
魔法使いの夜 初回版 (Amazon.co.jpオリジナル特典ポストカード付)
TYPE-MOON ( タイプムーン ) エース Vol.5 2010年 07月号 [雑誌]
June 12, 2010
TYPE-MOONエースVOL.5の表紙が
描き下ろしの青子絵やばい。一撃で感情が反転するイラストって本当あるよなー。昨日はふて寝したくらいの勢いでイマイチだったんですが、今朝このイラスト見たら、『魔法使いの夜』をやるまでは最低限死ねぬとマジで思いましたよ。
娯楽は氾濫して、話題になるスピードも、話題として消えていくスピードも上がっている。それこそ時々奈須さんが言及してるように「消費」とでも言うように。
そんな中で、期待感だけでも、一生ものの作品になりそうな予感を抱かせるという時点で、凄いことかと思います。
広報の仕方も、かなり高いレベルでアクロバティックなことをやっておられる。どちらかというと、Twitterで制作過程を逐一実況みたいなプロモーションが流行ってるんですが、敢えて逆を行っています。徹底して情報は出さない。出す時は、1枚のイラストで一撃で魅了する……という、プロモーション担当者のレベルもかなり高くないとできないことをやっています。